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​用語・術技解説
■アズ・リアル

 本ゲームの舞台となる世界の、「外側から俯瞰した場合の」呼称。

 基本的に、(世界を離脱出来る高位の特異存在や特異能力者を除く)作中の登場人物にとって、世界は一つしか存在しないため、わざわざ特別な名前を付けて区別することはしない。

■確率の空(プロバビリティ・スカイ)

 或る世界について、その世界で起こり得る法則を記述した概念的なデータベースであり、設計図。

 世界の内と外を決める世界観の境界「概念境界」という表現も出来るし、神の居る世界「神域」とも、或いは神そのものとも表現出来る。

 メタ的に世界を俯瞰したとき、世界の外に物理法則は存在せず、距離や物質という概念もないため、物理的に何らかの結界のようなものが発生している訳ではない。例えば世界が球状の容を持っており、外殻の様に、《確率の空》がそれを包んでいるというイメージは不適当である。

 世界の容とは、"その世界で何が起きるか"という事象の集合であって、物理的なイメージで容を捉えることは出来ない。

 《アズ・リアル》内において、地域によって《特異》の発生率――つまりは《確率の空》の綻びの度合いに差異があるように見られることがあるが、それは単にたまたま、その地域に《特異》や、其れを求める意志が集中していただけの話である。

 例えば、魔術師を見た一般人が、魔術の存在を知り、魔術師になる機会を得るように、特異や魔術等の異能、即ち"特別性"は、機会という形で物質的な広がりを持って伝染していく。そうやって局所的に循環していくことで、地域によって綻びの度合いが違うように見えてくるのである。

 実際的には、一度特異能力を発現させれば、何処へ移動しても、それを使用することが出来る。

 但し、櫻岡市という地については真の意味で特別な地であり、"設定"を与えられたことによって、実際にかの地は、特異をはじめとする特別性への接触率が高くなっているが、"何故、その場所でなくてはならないのか?"を知る者は皆無である。

 アズ・リアルにおける神的存在であるアレーティアやアタラクシアは、《確率の空》の顕現であるが、そもそもアズ・リアルの次元を超越していなければこれを理解することすら出来ないため、そういった存在を認識できる者は少ない。

■唯一なる静穏(アタラクシア)

 《アズ・リアル》に存在する、二柱の神のうちの一柱。

 長い銀髪の、儚げな少女の姿で顕現する。

 アズ・リアルの《確率の空》が具現化した存在であり、《確率の空》における無存在、或いは"0"、即ち"存在し得ない概念"の集合体である。

 その性質上、アズ・リアルで起こり得ない、あらゆる概念を否定できる。

 識術師達が"最高位だ"と考える、全能の領域である《無限光(アイン・ソフ・アウル)》を顕現させる《無限(アイン・ソフ)》は、彼女の側面の一つである。

 基本的に、有存在は有存在のみを意識するため、"無の広がり"である彼女が意識されることはない。

 その為、識術師らがただ単に"神"と云えばアレーティアの方を示すことが多いが、有は無から生まれるものであるため、アレーティアの母ともいえるアタラクシアも、無くてはならない存在である。

 諦観を抱いており、世界が崩壊しようとも無干渉を貫き、自身の滅びを受け入れている。

■唯一なる真理(アレーティア)

 《アズ・リアル》に存在する、二柱の神のうちのもう一柱。一般的に「神」と言えばこちらのことを示す。

 長い金髪を持ち、背中には六枚の翼を生やしている、神々しい少女の姿で顕現する。

 アズ・リアルの《確率の空》が具現化した存在であり、《確率の空》における有存在、或いは"1"、即ち"存在し得る概念"の集合体である。

 その性質上、アズ・リアルで起こり得る、あらゆる概念を操れる、全能。

 《無限光(アイン・ソフ・アウル)》は、彼女の側面の一つである。

 基本的には世界を崩壊に対して否定的な意思を抱いており、脅威が外世界の存在であれば、自身の世界の存在(即ち、人間)に力を貸すことで対処したりといった場合もあるが、肝心の「人間の意志による世界破壊」に対しては見逃している。

 そもそも、全能とはいえ飽くまで”アズ・リアル内における全能"である為、世界外の法則で動いている《対象》や《特異存在》等に対して、(その気があろうがなかろうが)直接手を出して対処する術はない。

 人の意志の輝きを愛する存在であり、たとえ自身や世界が滅ぼうとも、人が自らの力で幸福と理想を掴もうと足掻く姿を肯定し続ける。

■精神ネットワークと記憶修正

 人間は生まれた瞬間から、深層心理の段階で、他人と何らかの繋がりを持っており、この広がりを精神ネットワーク(マイクロネットワークとも)呼ぶ。

 人間は、精神ネットワークに接続し、そのネットワーク上で共有されたイメージを受信することで、世界の認識の手助けにしている。

 心理学における"アーキタイプ"とは、この現象のことを示している。

 精神ネットワークを通して概念レベルで他者認識を行う事は、自己認識の確立にも繋がっており、もし精神ネットワークに接続出来なかった場合、他者が他者であるという理解に支障を来すため、人間らしい自我を確立できないという問題が発生する。

 例えば、生まれた時から隔離され、食料のみを与えられてきた人間などは、もはや一般的に"人間"と呼ばれる存在ではなくなっているだろう。

 ただ、精神ネットワークに依存しすぎることも問題である。

 精神ネットワークは、記憶修正をはじめとする"一般化"の作用を持つが故に、精神ネットワークに埋没しすぎて精神が一般性の中に溶け出し、最終的には自己を失う"マインドスライム現象"という被害が、社会の中で少しづつ見られ始めている。

 また、"特別性"の影響を受けた者はネットワークへの接続率が低下するため、一般化作用を受けなくなり、どこか精神に異常を来すことになる場合が多い(この場合の"異常"とは、単に気が狂うだとかそういうことに限らず、広い意味での"一般的価値観から見た異常"である)。

 例えば、特別性を得たことによって精神が一般的でなくなった結果、異常な程の利他精神に目覚めた少女が存在する(一般的な人間は、幾らかの利他精神はあれど意識上に、或いは無意識上に全く利己精神が無いということは基本的に有り得ない筈である)。

 

 精神ネットワーク上では、「記憶修正」という作用が働く。

 一般人の場合、"異常現象であるとしか思えない"現象の記憶について、理解できないものに対する恐怖感を消去するため、ネットワークの集合無意識が、自動的に記憶への修正をかけるのである。

 一般人が、多くの場合は一般人のままで生きるか、或いは一般人のままで死ぬ理由はこの作用にある。

 《特異》や魔術をはじめとする異能、即ち特別性を宿した場合、その人間は大なり小なり異質な存在となるために、ネットワークとの距離が開くことになる。彼らが自身の行使する異能を観測できるのは、これによって記憶修正を免れている為である。

 記憶修正は、精神ネットワークに繋がっている個々人にとっては、一見、「危機が迫っても、それが全く観測できないため、危険を避けることすら出来ずに死亡してしまう」という、危うい面があるように見える。しかし、もし精神ネットワークに繋がったまま、記憶修正を受けない場合、特別性、特に"この世のものではない概念"である《特異》に曝されてしまった者は、もしそれらに対抗する術を持たない場合、結局のところはどうする事もできず、ただ理解できないものに触れたことによる狂気に苛まれ、その狂気を精神ネットワークに伝播させてしまうのである。

 それ故に、一般人にはほぼ必ず記憶修正が働く。逆に、特別性と共に生きていくことになった者は"異分子"であるため、精神ネットワークから切り離される。即ち、記憶修正を免れることと、精神ネットワークから離脱することはほぼ同義である(ただし、精神ネットワークへ意識的に干渉できる者は、その接続度合いを任意に操作することも可能であるが)。

 つまり、記憶修正とは、「助かる可能性の低い一個人」を見捨てて、「多くの一般人」を恐怖と狂気から救うという、フェールソフト的役割を持つ作用である。

 

 なお、記憶修正は、過去に遡って行われる。従って、もし何らかの理由により、特別性を有している者が「普通の人間」に戻った場合、その間の記憶も曖昧になるが、そのような状況になることがそもそも多くない。

■特別性

 特異や魔術、《始原識》など、超常の概念の総称。

■特異

 特別性の一種。《アズ・リアル》を構成する《確率の空》に記述されていない、外側の概念。

 特異存在、特異能力の二つに分類される。

《特異》は"本来、在る筈のない事象"であるため、特異能力を行使した場合には世界に歪みが生じ、崩壊・消失していく。また、存在するだけで世界に影響を及ぼす特異存在は、ただ生きているだけで世界を少しずつ破壊する。

 《特異》の概念を定めたのは、東岸定理という少女の一個人であるため、《魔術》程に一般的なものではない。しかし、《特異能力》に目覚めると、大抵の場合は、どの様に存在を知ったのか不明だが、彼女の方から接触してくる。ただし、それは現在の話である。《特異能力》の項で述べる通り、その力自体は「《特異》という概念を知らなくても使える」ものである。そのため、彼女が特異能力者に対して現在のような姿勢を取っていなかった5年ほど前に既に覚醒していた者は、「それとは知らずに使っている」事が多い(多いとはいえ、そもそも特異能力者自体が稀少な存在だが)。

​▼特異能力

 人間存在に宿り、それが異能として顕現した《特異》。プレイヤーキャラクターは、基本的にはこの力を有する。

 世界の外部の概念である《特異》が異能となった結果として、自らの立つ世界の法則を超越する力と所有することになる。

 具体的には、PC達は、《特異能力》の一種に覚醒することで、自らの行動に特異性を与え、《特異存在》に干渉する能力と、死を超越して致命傷を"致命傷でなかったことにする"行為、《死殺》を使用できるようになる。前者は、それを行っても十分に修正が働く程度の損傷しか世界へのダメージを与えないが、《死殺》は、誰かが一度行うだけで、辺境の村一つの存在が無かったことになる程の危険性を秘めている。

 また、自身の特異性を微かに顕現させることで、意図的に周囲の一般人に対する記憶修正を行うことが出来るようになったり、上位次元からの目線で、状況を俯瞰すること、《視点分離》も出来るようになる。

 但し、《死殺》や《視点分離》は、特異能力者であっても中々出来るようなものではなく、PC達の宿した其れが、いかに"特別製"であるかを示すものとなる。

 特異能力者の多くは、元々自身が持っていた技術に(必要ならば)特異性を付与して戦闘を行うが、《特異》そのものを扱うことに長けた者は、直接、世界の外部の法則を用いて戦闘することも可能とする(後述する《理装》はこれに当たる)。

 《特異能力》に目覚めるには、元々の素養が必要である。素養がある者ならば、《特異》という概念を知っていようがいまいが、「冒涜的で、狂気的なまでに現実を否定し、その超越を望むこと」によって覚醒することがある。逆に、それが出来る者は、元々その素養を有していたと言える。

 目の前に、その者にとって認められない現実が現れたとき、それを「現実だから仕方がない」と諦めるのか、それとも「こんな現実は変えてやる」と思うか否かが、《特異》へ到達するかの分かれ道となる。

 プレイヤーキャラクターは、《特異能力》という概念を知らなくてもよい。実際のところ、自ら積極的に状況に関与することが難しい東岸定理は、特異能力者の把握が全く追いついていないし、接触を行ったところで結局、どのような姿勢を取るかは、その人物に委ねられる。ただし、(それを"制御できている"と言えるのか否かは別として)《特異能力》自体は前述の通り、「素養があって、その気になれば使える」というもので、直感的に使おうと思えば使えるため、「それが危険な力だ」という事も感覚的に理解できる。

 なお、東岸定理は、特異能力者の規制・統制を行う意思を見せている一方で、何故だか、意図的に"特異能力者でなかった者"への接触を行い、その者の力を覚醒させることがある。

 

 特異能力者は、特別性が存在することをダイレクトに認識できるため、近くにそういった存在が居ることも感知することが可能である。

 特異能力の一種で、《理装(りそう)》(《論理武装》の略。別名《特異武装》)と呼ばれるものがある。

 これは、(武術や武具、魔術などと組み合わせずとも)それ単体で戦闘に用いることが出来るほどに強力かつ明確な”カタチ”(異能としての方向性)を持つ特異能力のことである。

▼特異存在

 自律行動する《特異》。要するに、外の世界の存在。

 別の概念で存在しているため、どの様な性質を持っていて、どの様な外見をしていようが、基本的には《特異能力》を有する者しか干渉できない。目視すらも出来ない。

 本人の意思と関係なく、存在するだけで世界を崩壊させていく厄介ものだが、自身の特異性をある程度コントロールして、《アズ・リアル》に順応できる個体も稀に存在する。

 特異存在の中でも《対象》と呼ばれるものは、最も危険な部類のものである。

 これは、ただあらゆる有存在を消滅させるためだけに活動する「破壊という概念そのものの具象体」であり、一般人には観測できないが、記憶修正を免れ得る者には、黒い影のような姿に見える。タイプによって見た目を変えることがあるが、それは実際のところ、見た目が変わっているのではなく、観測者の無意識が、イメージから外見を作り上げているだけである。

 《対象》は、《確率の空》の隙を突いて、あらゆる場所に、無作為に出現し、物質的・精神的・概念的に全てを喰らい尽くす。

 命名者は東岸定理で、"そこに在るのは分かるが、それを何かだと定めることはできない"ということから名付けられた。

 《アズ・リアル》の法則の一切に縛られないため、「外の世界の法則を用いる」《特異能力》使い、或いは《特異存在》、もしくは「自らの法則を押し付ける」《始原識》持ちでないと干渉することが出来ない。

 この性質の為、ただの魔術師では対抗できない、非常に厄介な存在となっている。

■魔術

 超常現象を引き起こす技術。

 一般的に、それが実在することは知られてはいないが(記憶修正により、一般人は観測することが出来ないため)、特別性としては最もポピュラーであり、この技術を持つ者はそれなりに多い(勿論、全人類の数と比べれば、圧倒的に少ないが)。

 "超常現象を引き起こす"と言っても、魔術は特異能力ではないため、飽くまで「一般的には起こるとは考え難いが、概念境界の上では、起こることがサポートされている現象」を起こすに過ぎない。例えば、魔術を極めた結果として、概念境界に記述されている「死」という現象を、何の脈絡も無く、誰かに与えることは出来る。しかし、論理的に矛盾していること、例えば、「絶対に死なない存在」を殺すことや、「一度訪れたら絶対に逃れられない死」を回避することは、魔術によっては行えず、特異を用いる必要がある。

 魔術は、人間の脳内に存在する、人間個々の存在と、概念境界とを繋ぐインターフェースであるところの「逆流神経」を発火させることによって行う。この逆流神経の性質には個人差があり、人によって、魔術のタイプの向き不向きがある。また、この発火を行う際の自己暗示が、いわゆる詠唱である。

 

 魔術を究める者――魔術師は、自身の魔術にかける思い、ひいては世界に対する価値観や要求を一言で表した、「魔術名」を名乗ることが多い。

 これは単に慣習でしかないが、自らの意志を明確にしておくという意味では重要である。

 魔術の世界に足を踏み入れた者はえてして、確固たる目的意識を持たねば、物理法則を逸脱した力に振り回されて社会性を損なったり、逆に、高位の魔術師の「異次元さ」に絶望し、劣等感に駆られてしまうものなのだ。

■始原識(しげんしき)

 一部の人間が生まれる瞬間に最初に見る、イメージのようなもの。

 始原識を見た人間は、イメージで見た概念に一生運命を拘束されることとなる。

 その運命拘束は非常に強力なものであるため、見た者にある種の特殊な「能力」を与える一方、拘束されることによる「代償」に縛られることになる。

 例えば「怒り」の始原識を持つ者は、一生にして、何かに憤怒し続けなければならない運命を背負う代わりに、憤怒のエネルギーを破壊力に変える力を持つことになる。

 「外から持ち込んだルールを《アズ・リアル》に押し付ける」のが特異なのに対して「自分の中に存在しているルールを外世界に押し付ける」のが始原識である。

■櫻岡市

 東京近郊にある街。

 そこそこの広さと人口はあるものの、これといった特色のない街。

 主に西部が住宅街、東部がオフィスビルや商店街、アミューズメント施設等の乱立する商業区画になっている。

 名門高等学園である、私立聖領学園が存在することでは有名である。

 さらに、治安があまり良くないことでも名が知れてしまっている。

 その理由は、この街が他の地域と比べて圧倒的に特異等の特別性に出遭う確率が高いからであり、精神ネットワークによって記憶を幾等シャットアウトしようとも、特異が住民の精神に無意識的な影響を与えて闘争心や暴力衝動などを刺激している為に、犯罪が起こりやすくなっているのである。

 また、精神ネットワークが作用するとはいえ、何らかの特別性の行使による物理的な影響は当然現れるため、怪奇現象に遭遇しやすいスポットとしても、しばしば話題になっている。

 

 東岸定理ら東岸家の屋敷や、神領烈花の屋敷など、特別性に関わる者達が多く生活している。

「何故この街が特別であるのか」という事情についてを知る者は皆無だが、東岸定理はそれを知っているようだ。

■偽世界(ぎせかい)

 《アズ・リアル》の別世界ではあるが、どの別世界よりも其れに近い世界。

 近いとはいっても物理的な距離ではなく(そもそもメタ世界に距離という概念は存在しない)、観念的な、言葉で"近い"としか表現できない近さである。

 背中合わせの関係と表現できる。

 技術レベルはアズ・リアルとほぼ同格だが、生活水準は劣悪である。

 人々は、とある巨大都市一つに押し込められて生活しており、それ以外の地域はただひたすらに、不毛の荒野が広がっている。

 その様な環境であるため、世界的な資源不足に悩まされており、僅かな資源をめぐって、日常的に争いが発生している。

 偽世界において、魔術の中でも、識術は一般的に知られている技術であるため、大っぴらに戦いの道具として使われている。

 そんな中、世界を統合管理する、統一政府の中でも過激派に属する派閥は、過去に"アンファング"という、最高位の識術師が何処かへ去った出来事から、別世界の存在を予測し、侵略を企てている。

 彼らは既にアズ・リアルへの移動の識術を確立させており、それを用いて、"狩猟者の剣"、或いはV∴G∴という実働部隊にアズ・リアルの強行調査を行わせている。

 ただ、穏健派は、そのような侵略行為を咎めており、政府の中ですらも対立が起きている。

 

 偽世界には《対存在》という人間が存在する場合がある。

 これは、《アズ・リアル》のある人物と対になっている存在であり、《アズ・リアル》で、人物Aと人物Bの間に何らかの関係性がある場合、偽世界でも人物Aの対存在と人物Bの対存在は、何らかの関係性を持つ。

 とはいえ、共通するのは"無関係ではない"、"見た目が酷似している"、"性格に共通点がある"程度のもので、生死は同期していない。

 こういった存在の事は、偽世界出身の者ならば、知っている場合が多い。

 このような存在がある理由は、偽世界がその実、《アズ・リアル》から完全に独立していない為である。魔術的観点で言えば、双方の世界を構築しているセフィロトの樹において、アツィルト界が同一である、即ち、ごく高い抽象レベルで連結されているのである。

 

 偽世界の魔術師は、"自らが何のために識術を使うか"といった信念を表明する為の「識名」を持っている場合が多い。《アズ・リアル》における魔術名と同様の慣習である。

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